今回はただのボヤキです。
何の役にも立ちませんのでそのつもりでお読みいただければ幸いでございますよ。
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保育園お迎えからの帰りに遭遇した困っている人。
最近新居を買って引越をしたのですが、子供の保育園はあと1年で転園させるのは忍びないということで、そこそこの距離で送り迎えをしています。
普段は仕事から帰ったあとに私か妻のどちらかが自転車で迎えに行くのですが、その日は断続的に雨が振り、風も強めなので私が会社帰りにピックアップすることになりました。
まずは電車で職場から保育園まで行き、ピックアップしたあとに路線バスに乗って家の最寄りのバス停で降ります。
そこまでは何もなかったのですが、バス停から家までの下り坂を歩いている途中、空の車椅子を押しているおじいさんがいました。
車椅子を歩行器代わりにして散歩しているとかリハビリ中かなとか思って何も気にしていませんでしたが、そのおじいさん、視界に入ってから我々がそこに行くまでの間、1歩も前に進んでいないんですね。
私と子供は下り坂、彼は逆方向に進もうとしているので上り坂です。
私の目からは、車椅子を押してでかけたはいいものの坂道を登りきれなくて困っているように見えたわけです。
見てみぬふりをできずに声をかけてみた。
その時はちょうど雨も止んではいましたが、私も年端も行かぬ幼子を連れて強風の中を歩いている最中です。
この状態でそのおじいさんを手伝ってあげられるかどうかも怪しいところでしたが、流石に無視するわけにもいかなかったので思い切って声をかけてみます。
多分歯が抜けているのか滑舌が良くない方でしたが、とりあえず「頼むよ」という意志は確認できたので車椅子を押す運びになりました。
5歳の子供に傘を持たせ、私は車椅子を押しながら子供がちゃんとついてきているかどうかを確認します。
子供は普段の落ち着きの無さが嘘のようにしっかりと真後ろに着いてきていました。
子供ながらに「ここでははしゃげないな」というのを理解していたのでしょう、図らずもこの成長を感じることができました。
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「何かおかしいぞ?」と思いつつも言い出せずに任務完了。
私はそのおじいさんが坂で立ち往生しているだけだと思っていたので、坂を登りきったあたりでお役御免と思っていました。
しかし坂の途中でおじいさんが一言
と、目的地を指定しました。
私は
てか目的地まで押させる気なのか?
なかなか遠慮がないな…。)
と違和感を覚えましたが、もともとこちらが好きで首を突っ込んだことですから文句を言う筋合いもありませんし、長距離というわけでもないので承諾してそこまで押すことにします。すると横断歩道の手前あたりで、
横断歩道ミッションが追加されました。
だんだん距離が長くなっていくことに違和感を覚えつつ、心配なのは子供の方でしたのでそこを突っ込む余裕はありません。
そしてもともとこちらが好きで首を突っ込(ry
そして横断歩道を渡って右に曲がると、
あいかわらず滑舌が良くないのであまり聞き取れませんでしたが、どうやらここで待ち合わせか何かをしているのだということは伝わりました。
なかなかな友達だな…。)
とさらに違和感を覚えましたが、こちらとしても我が子が心配なのでそこまで考える余裕がありませんでした。
何よりもともとこちらが(ry
ちなみにこのバス停は私と子供が降り立ったバス停の反対車線側でした。
我々がおじいさんと出会うまでに歩いた行程をまるまる戻ったことになります。
子供は心配でしたがまあまあいい運動になりました。
とりあえず目的地がバス停だったので、
乗るなら手伝いますよ?
と聞いたところ、
とのことでしたので我々はお役御免となりそこでおじいさんとはお別れです。
いくつかの違和感を抱えつつも、
とお礼を言うおじいさんの爽やかな笑顔に満足して家路に着くのでした。
妻の言葉に違和感が繋がる。もしかして…?
「我ながらいい事したなあ」と満足しながら家に帰ります。
帰宅後の雑務などを一通りこなし一息ついて眠りにつく前に妻に今日の出来事を話しました。
しかしその話を聞いた妻から意外な一言が…。
この瞬間に私が車椅子を押している途中の違和感がすべてつながりました。
確かに言われてみれば思い当たるフシがいくつもあります。
- 人と会う用事があるようなことを言っていた割にはその人の服装がラフすぎた(部屋着と言うよりは寝間着に近い)。
- 足下も靴ではなくサンダル履き。
- 所持品がなく雨予報なのに傘や上着すら持っていない。多分財布なども持っていない。
- そもそも坂で立ち往生するほど弱っている人が外の用事をこなせるのか?
- 用事の目的地がバス停だがバスには乗らず。
冷静に考えてみるとその時持っていた違和感がどんどん具体化されていきます。
そのおじいさんは滑舌が良くないものの、
- 少し降り出した雨に私より先に気づいたりと様子がそれなりにしっかりしていた。
- 受け答え自体はスピーディーに行えていた。
- 私が子供の動向に気を取られていた。
- 疑問を口に出せない私のチキンな性格。
などの要素が持っていた違和感を打ち消していたのでしょう。
いや、もしかしたら聞き取れていない言葉は滑舌が悪いのではなく、うまく言語化できていないだけなのを私が勝手に滑舌の問題だと判断していたのかもしれません。
その後私はおじいさんが目的地としていたバス停に様子を見に行きましたが、既にその人の姿はありませんでした。
今となってはそのおじいさんがちゃんと用事を済ませて帰れたのか、実は認知症とかでご家族により発見されたのかはわかりません。
私の住む地域で行方不明者などを調べてみましたが特にそういった情報もなかったので、そのおじいさんが無事であることだけは推測できますが…。
もしあのおじいさんが認知症で家もしくは施設から脱走してきたのだとしたら、私が親切だと思ってした行為がただの「脱走幇助」になってしまいます。
本音を言えばこんなのどう考えても割に合いません。
かと言って明らかに困っているご老人を無視して帰るというのもひどい話です。
ましてや我が子を目の前にしてわかりやすく困っている人を知らんぷりなんてできるわけもありませんよね。
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結局何が正解だったのかは今でもわかりません。
こういった場合どうするのが正解だったんでしょうね?
合理性だけを突き詰めてしまえば「スルー」が正解なんでしょうが、流石に子を持つ親としてそこまで非常な判断を(特に子供の前で)下すことはできません。
人助けとかに慣れている人であればこんな状況で気の利いた対応ができるんでしょうかねえ。
若い頃に好き勝手生きてきたツケがこんなところででてくるとは思いませんでした。
次回もしそういった状況になったときのために色々考えておかなくてはいけませんね。
まとめも何もありませんが、「人助け一つとってもなかなか難しいもんですねえ」というお話でした。
以上です!