今回は若い頃の失敗談というか、未だに後悔している話です。
若い頃、中身もなにもない仕事内容の会社に1年半も費やしてしまいました。
20代の1年半って就職に関しては特に貴重ですからね。
これに関しては年老いた今も後悔しまくりです。
Contents
無知から新卒を逃したマヌケな若者の焦り。
新卒カードをろくに使わずドブに捨てる愚行。
時は就職氷河期、新卒採用に向けて周りの友人に合わせて新卒の就職活動を行っていましたが全く結果が出ない状態でした。
今考えるとナメてんのかっていうくらいのテキトーな就職活動でしたねえ。
そうこうしているうちにあっという間に時間が過ぎ、新卒に見切りをつけた私はとりあえず卒業してフリーターになりました。
新卒カード捨てちゃったのか!?
そもそも「働きたくない」っていう思いが強かったからね。
今思うと非常にもったいない話ですが、ただでさえ就職困難な時期に一生に一度の新卒カードを捨てて、中途採用市場に飛び込んでしまったんですね。
就職情報誌での中途採用に希望を持ちすぎたバカな若者。
それでも一応正社員として就職する気だけはあったので、今はなき有料の就職情報誌「B-ing」を買っては読み漁っていました。
バカのくせに意識だけはいっちょ前に高かったので、
これからは搾取されないように知識を身につけられる仕事を探そう!
みたいなことを思っていました。
当時の自分をぶん殴りたくなりますね。
そこで選んだのが証券会社でした。しかも上場企業。
お金のことに精通していれば搾取されることは少なかろうという安直な考えですね。
お金を搾取されるのが嫌で選んだ会社に時間を搾取されるとは当時は夢にも思いませんでした。
もし学生の方が読んでいたら一言。
新卒での就職活動はしっかりやりましょう。
一旦卒業してしまったら学生に比べそれだけで就職は不利になります。
「一斉採用の雰囲気が宗教じみてて気持ち悪い」とかそういうのは一旦飲み込んでここだけは周囲に迎合したほうが得は得です。
どうせ今後の人生でもう一度やることはないので耐えましょう。
就職した証券会社の実態について。
入社後、丸1ヶ月の研修という名の合宿。
応募した証券会社は秋くらいに採用が決まりました。
しかしこちらのバイト先の都合で少しずらしてほしいと言ったところ、意外にもすんなり了承されました。
年齢が若かったため、翌年度の新卒組と同時入社という扱いになりました。
当時の私は脳天気に、
何にせよ中途で新卒待遇なのはツイてるかもしれん。
とか考えてました。
そして4月1日、入社と同時に研修が始まります。
集合場所はなぜか羽田空港です。
研修という名の合宿はこの会社の創業の地である九州に飛び、複数箇所の宿泊施設に寝泊まりしながら4月28日まで勉強するという結構な長丁場です。
当時の私はこれまた呑気に、
とか考えてました。
脳天気なままスタートした研修ですが基本的には座学がメインで、面白くはないにせよそれほどしんどいものではありませんでした。
一緒の合宿所に研修に来ていた会社の方が気合と精神論の宗教じみていてうちの会社はマシな方だと思ったほどでした。
しかし、それも終盤に差し掛かってくると、休みもほとんどなく同じ顔ぶれでの集団生活でストレスはどんどん溜まっていくことになります。
多少の緊張で始まった研修も終盤にはかなり殺気立ったものになっていきました。
能天気だった私もこの頃にはさすがに
と思うようになっていました。
仕事内容はひたすら電話。上司の次に偉いのも電話。
そして勤務地での座学研修のあと、6月くらいに各種販売員の試験をパスしたのち実務が始まります。
仕事内容は、ただひたすら電話、電話、電話でした。
研修でやった座学なんて何の役にも立ちません。
職場とか家とかにかかってくる投資勧誘の電話ありますよね?
その会社の仕事内容がまさにそれでした。迷惑電話営業。
スケジュールはこんな感じです。
8:00 | 出社・朝礼・日経新聞読み合わせ |
---|---|
8:55 | 行列を作ってタイムカード打刻 |
9:00 | 電話営業開始 |
11:30 | 昼休み |
12:30 | 電話営業開始 |
17:00 | 行列を作ってタイムカード打刻 |
20:00 | 新人は終了・帰宅。2年目以降はさらに居残り。 |
電話をかけるたびに用紙に「正」の字を書いて件数をカウントします。
大体1日600件~800件くらい電話をさせられます。
会社から支給された名簿がメインですが、それには結構当たりハズレがあり、情報が古い場合があります。
そんなときのために近場のタウンページを何冊か取り寄せて使ったりもしていました。
昼休憩前と18時ころにそれまでの成果を報告します。
新規0件
訪問(アポ)1件
見込み2件です。
こんな感じです。
見込みというのは、「次回電話をかけたら多少話ができそう」「資料を送る約束をした」とかその程度の見込みです。
これを毎日繰り返します。
新しい仕事などありません。
主任も係長も課長代理も同じ仕事をしています。
違う仕事をしているのは管理職たる課長以上と事務職だけです。
18時くらいに続々と帰っていく内勤の人達を羨ましく思いながら日々消耗していきました。
余談ですが、この一日中電話営業というのは自分で思っているよりもストレスが溜まっていたようです。
その後遺症として電話口の「ガチャッ」という音がトラウマになっていて、10年以上経った今でも電話相手が電話を切る前に受話器を耳から放してしまうようになりました。
今でも。
月イチの会議はまさに地獄の吊し上げを3時間。
月に1回の会議は電話営業以上に辛かった記憶があります。
普段は20時過ぎまで電話営業をして帰るだけでしたが、会議の日だけは営業を19:30で切り上げ営業会議が行われます。
最初の5分くらいで法令などの改正の話をサラッとされたあと、課長代理以下個々人の営業成績の話に入っていきます。
一人ずつ当月の成績を発表させられるわけですが、月の中旬くらいですので新規契約なんてそうそう上がるべくもありません。
ですのでその場にいる全員が一人ずつ役員に吊るし上げられていくことになります。
正直電話営業なんて机上でいくら理屈をこねくり回しても劇的に数字が上がるわけはないので、最終的に気合や精神論にすり替わっていくんですね。
なのでこの会議自体の意味は特にありません。
でも一人ずつ詰めていくので時間だけはどんどん過ぎていくことになります。
こっちは22時半の終バスで帰りたいのに必ずバス時間は過ぎます。
もちろん定期のない電車で帰っても自腹です。
結局、「この会議で吊るされたくなかったら結果を出さなければならない」という意識を植え付けることが目的だったんだと今では解釈しています。ほんと無意味。
当たり前のように行われる土曜出勤。
つまらない電話営業を平日遅くまでやらされるだけでも苦痛なのですが、1年目の8月あたりから土曜出勤が始まりました。
今週からしばらくの間、土曜日も営業せんとあかんな!
こんな感じで軽く我々のせいな感じで、さらに若干恩着せがましく土曜日も電話営業をさせていただけることになりました。
しかも期間限定みたいな口ぶりではありましたが、先輩に聞くとこの土曜出勤は恒常的に行われていることがわかりました。
土曜日は平日よりも比較的ゆるく、9時までに会社に来てすぐに電話営業を始めます。
12時前くらいに部長の一声で昼休みになり1時前くらいでまた部長の一声で午後の電話営業が始まります。
対外的には休日なのでタイムカードは打刻しません。
そして18時ころまで電話営業を死んだ目で続け、部長の一声で帰宅となります。
個人的にはこれが一番無駄な時間でした。
ガチガチな雰囲気だからこそ仕事と割り切って耐えられる時間も、ちょっと緩められたばかりに不毛な感じがどんどん湧き出てきてしまうんですよね。
おそらくこれも営業活動というよりは心を殺しにきているのだなと察しました。
会社を辞める直前のGWも、私はたまたま前月に新規契約を2件取れていたため暦通り(祝日のみ)休むことができましたが、契約が取れていない同期の連中は3・4・5日の3日間とも出勤したそうです。
証券会社の名を冠した別会社だったという罠。
当時の私の最大のミスであったのが、「証券会社と思って入社したら実は違った」というものでした。
確かに今思えばありえないようなミスではあるのですが、当時の私は証券会社を名乗っている以上証券会社なのだという思い込みがありました。
いや厳密に言えば証券会社なのは確かなのですが、実態がそうではなかったというのが正しい表現です。
当時は金融緩和がある程度進んだ時期で、それまで役割がきれいに別れていた金融関係の会社の壁がだいぶ崩れてきていました。
その金融緩和の波に乗って証券会社に業種転換したのが当時勤めていた会社でした。
しかし、その証券会社の前身は商品先物業だったんですね。
ガソリンとか大豆とかで大博打をするアレです。
会社の根幹をなす部分は完全に商品先物会社、それに薄い皮をかぶせて即席証券会社の出来上がりというわけですね。
それでも証券会社としてまともに活動していればいいのですが、その会社の方針が「現物株の購入を入口とし、その株を担保に商品先物に誘導する」というものでした。
これは正面切って商品先物の勧誘をするよりタチが悪いやり方です。
商品先物では上場企業の株を証拠金の担保として預け入れることが可能です。
現金を先物の証拠金にするよりも多少抵抗が少なく、会社としては株と先物の売買手数料をダブルで徴収できます。
しかし株の担保価値は多少目減りするので現金よりも不利になります。
会社だけが儲かって顧客が地味に不利益になるやり方を積極的に推奨、しかもその不利益に顧客が気づきにくいという地味に悪質な営業方針だったのです。
私はこのやり方が気に食わなかったのと商品先物自体に顧客利益があるとは全く思えなかったため、株のお客さんに先物を勧めることは一切しませんでした。
上司に詰められても、
とすっとぼけていました。
証券会社を冠した社名でもベースが証券会社とは限らない。
ていうか面接を受けようとしている会社については少しくらい調べよう。
入社前と言っていることが全然違うブラックの王道。
入社前の説明と入社後の現場が違いすぎることがありました。
これが辞める決心をしたトリガーになった出来事です。
入社前の説明では会社として各種資格を取ることを奨励するという話でした。
証券外務員の上位資格である内部管理責任者や営業責任者を始め、各種保険外交員、FP資格もその中の一つでした。
うろ覚えですが確か資格手当も出すという話だったと思います。
私はAFPの資格をとるために学校へ通い始めました。
とは言っても月曜から土曜まで仕事漬けなので実際に通うこともできず、日曜日に資格学校へ行き、自腹で買ったカセットテープに講義をダビングして家で勉強する日々です。もちろん学費も自腹。
そして試験の2週間ほど前、上司に試験のため試験当日の土曜日に休む旨を伝えたところ、信じられない言葉が返ってきました。
資格取るために勉強するのは結構やけどな、
その資格と営業とどっちが優先かは決まっとるやろ。
その辺よう考えて物言えよ?
これは今思い返してみても腹が立ちます。
ノータイムで「資格だろ」と思いましたがさすがに口にはしませんでした。
資格取得の奨励は単なる外部向けのポーズで、社員が実際に取りにかかったら怒るという意味のわからない会社だったのです。
証券会社の管理職になるのに必要な証券外務員の管理資格も平社員のうちは受けることを許さずに、管理職に昇進することが決まってから取らせる資格に過ぎませんでした。
私も当時内部管理責任者の資格を取ろうと上司に相談したときに、
と一蹴されました。なんじゃそりゃ。
結局AFP試験当日は、部長自身が別の支社に行く用事があったとかで土曜出勤自体がたまたま流れて無事試験を受けることができましたが、この頃にはもう仕事が嫌だとかいうレベルではなく会社自体への不信感しか持たなくなっていました。
その段階でも気づかない人だっているし。
あと、もちろん資格手当なんてつきませんでした。
そういえば求人に書いてあった情報は給与も時間も全部ウソでしたね。
求人情報誌に書いてあることは話半分で見ておくのが無難ですよ。
退社意志から決定まで2ヶ月かかった。
2年目(正確には1年目の年明けあたり)からは、いつ辞めるかしか考えていませんでした。
毎日13時間の拘束と土曜、祝日まで奪われ、出社したら人様に迷惑がられる筆頭の電話勧誘です。
資格を取るといえば嫌みを言われ、株を売れば「先物売れ」と煽られるわけです。
それで給料がバカ高いのであればまだ我慢の意義もあるのでしょうが、別に他社に比べて特段高いわけでもありません。
これが課長クラスの管理職以上になるまで続くことになります。
主任も係長も隣で電話しているんですからね。
管理職になったとしても部下を管理するために同じ時間だけ会社になければなりませんので、平社員同様プライベートなどないわけです。
そう考えるとこの会社に未来がないという判断は自然とも言えます。
そして2年目の6月下旬に会社を辞める旨を上司に伝えました。
ボーナス後に間を開けず辞めるのはイメージが悪いという話も聞きますが、会社からの使われ方を考えるとボーナスなんて10回分もらっても足りないですからそこに躊躇はありませんでした。
実際にその後の就職活動に影響したこともありません。
そして退社意思を部長に伝えます。
朝、他の社員が出揃う前にその意志を伝えますがとりあえず保留にされてしまいました。
その日の夕方18時くらいに急に部長に呼び出されました。
とりあえず言われるとおりに片付けをして会議室に行きました。
そこで何を話したかはよく覚えていませんが、「お前はうちの部署に必要なんや」的な軽い引き止めがあったような気がします。
そしてそんな話もそこそこに、いきなり飲みに連れて行かれました。
その飲みの席での怒涛の引き止め工作でもあるのかと腹を括っていたのですが、意外にもそういうことはなく普通に部長の昔話とか世間話で2時間飲んで終わりました。
電話営業でのし上がってきた部長だけあって、意外と話が面白かったのを覚えています。
そして、退社についてこちらからせっつくかどうかというタイミングでまた飲みの誘いがあり、都合4回くらいは飲みに行ったと思います。
全て奢ってくれましたがおそらく部長の自腹です。
安月給の私には結構ありがたかったのは確かなんですが、
と先のことを考えて辞める決意だけはますます固まっていったんですね。
それを察したのか、私が翻意しないので根負けしただけなのかは定かではありませんが、最初に辞意を申し出てから2ヶ月弱経った8月の終わりころ、今度は昼間に部長からの呼び出しがありました。
そして呼び出された応接室で開口一番、
お前の意思はどうにも硬そうだし、会社としてもそれを理解できたから退社を認めることにしたんや。
こちらも神妙な感じで受け止める空気を出していましたが、心の中は安堵に満たされました。
やっとこの会社から解放されて自分の人生がここから始まるくらいの気持ちになったのをよく覚えています。
結局最後は部長の「辞めても頑張れよ」を引き出すことに成功したわけですが、残業手当の請求や未使用の有給休暇についての話は一切出ませんでした。
これはたぶんブラック退社あるあるだと思うんですが、ブラックを退社する際には辞めること自体が最優先事項になりがちで、残業とか有給とかの話でこれ以上会社と関わりたくない気持ちが勝ってしまい、そこから話をふっかける戦意が残っていないのです。
おそらく会社側もその辺は織り込み済みで敢えて触れないのだと思います。
精神的に余裕のある方はふっかけてみるのもアリだと思います。
こうして2ヶ月近い時間を要しましたが、こちらが辞める姿勢を崩さなかったことで何とか会社に意思を伝えることに成功しました。
会社側が何を言おうとも辞めるという最後の一線だけは譲ってはいけません。
翻意して会社に残ったとしても状況が良くなることはなく、以前の生活に戻るだけです。
むしろ翻意して残った実績を作ることで次に辞めたいと言ったときの当たりがキツくなります。
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ブラック企業で消耗している人に伝えたいこと。
私が初めて正社員として就職した会社の話でした。
おそらく商品先物業界はどこもこんな感じなのかとは思いますが、七五三現象(3年以内の離職率、中卒7割・高卒5割・大卒3割)と言われる中、この会社の1年以内の離職率はほぼ大卒ばかりの中で7割でした。
そんな会社で1年半も働いたことで得たものは特にありません。
ストレス耐性とか忍耐力がどうこうとかいう話は年配の方は特に大好きですが、そのストレス耐性が必要なレベルかどうかは当事者の判断だと思います。
不必要なレベルの忍耐が求められると思ったら辞めることは悪くも何ともありません。
この1年半で学んだことを敢えて挙げるとすれば、
今いる会社だけが働ける会社ではなく、辞めても意外と何とかなる
ということです。
事実、私が辞めたあと、次の会社は翌月には決まりました。
給料がバカ高いならともかく、そうでないのならば会社に依存することはよくありません。
確かに退社の申し出や就職活動をやり直すことは面倒ですが不可能なことではないのです。
「せめて3年」という言葉をよく聞きますがこれには何の根拠もありません。
それについての記事がこちらにありますのでよければご覧ください。
「せっかく就職できたのに」という思いは理解できます。
それでも精神をすり減らしてまでブラック企業に居続けるくらいならサンクコストとして切り捨てるほうがずっといいと思います。
もしくは日々の業務で消耗して、引き止める上司と戦う気力がないかもしれません。
その場合は最悪、日付入りの辞表を上司の机に置いておくという手もあります。
呼び出されていろいろ言われるかもしれませんが自分から切り出すよりはマシでしょう。
一つ勘違いしてはいけないことは、退職にあたり上司や会社を説得する必要は全くないのです。
ブラックで辞めると言ったらそれなりに止められるでしょうし、責任を盾にされたり罵倒なんかもあるかもしれません。
罵倒は聞き流すしかありませんが、責任についてはあなたが気に病む必要はありません。
退職の旨を申し出たわけですから、退職後のマネジメントに関して責任があるのは会社であり管理職ということになりますから、それはあなたへの単なる責任転嫁に過ぎません。
ですのであなたは、どんなに会社が辞めさせるつもりがないとしても、退職の旨を申し出たら最悪その後は2週間だけそれまでの仕事を続ければいいのです。
法律上退職の旨を申し出てから2週間したら退職は成立することになりますので、2週間経ったらバックレても構いません。
最終日の帰りに「お世話になりました」くらい言って帰宅し、次の日は出社しなければOKです。
電話が来たら2週間前に退職することを伝えたと言えばいいですし、それも嫌であれば着信拒否するしかありませんが、いきなり家に来られる可能性を考慮すると電話は出ておいたほうがいいでしょう。
ブラック企業から逃げることは悪でも何でもありません。
健康を害するほどの苦行であれば尚更です。体は一つですから。
貯蓄がなくて辞めにくいなら次の就職までアルバイトを挟んだっていいわけです。
「病むくらいなら辞めろ」これに尽きます。
できれば思考停止に陥ってしまう前に決断したほうがいいです。
あと転職先候補の情報は調べるようにしましょうね。
ブラックから逃げた先がブラックだとさらに消耗するだけですから。
経験した私が言うんだから間違いありません。
以上です!